叔母の命日に家族で高尾山に登りました。

雨上がりの山道は神秘的で、樹齢何百年の樹は神聖さを帯びています。
10キロの樹似を抱っこひもに抱えて登っていくのはなかなかに応え、ヒーヒー言っていると、花が手を繋いで引ってくれたり、璃子が背中を押してくれたりして、家族四人で一歩ずつ登って行きました。

登っていく中で、59歳の若さでこの世を去った叔母のことを何度も思い出し、様々な想いが胸を去来しました。
生きているということや残された時間について、改めて考えさせられました。

1時間弱、山道を登っていくと、薬王院の前に出ました。向こうから「おーい!」と呼ぶ声がするので振り向くと、待ち合わせた義母達の顔が見え、なんだかすごく安心しました。

薬王院で精進料理を食べ、今度は親戚一同で山頂を目指しました。

言葉にしなくても心が通じている。

高尾山の神聖な緑の中、家族皆で歩くという、自分たちらしい命日の過ごし方でした。

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生きる    
                 谷川 俊太郎         

生きているということ
今生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎていくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ