家族という最小単位のコミュニティ。
もっとも近くにいる存在。
もっとも多くの時間をともにする存在。
だからこそ、愛情や愛しさのようにポジティブな感情も、
嫉妬や執着のようなネガティブな感情も混在し、
それゆえに人生から切り離すことのできない、
唯一無二の存在になっていくのでしょうね。

【家族の言い訳】は、いくつもの家族にまつわるショートストーリーが織り込まれた小説です。

どれも素敵な話ですが、その中でも《乾いた声でも》というタイトルの短編には、素敵な文章がいくつも出てきて、心に刻まれました。
以下は、内容にも触れているので、これから読む!という方は、飛ばしてくださいませ。
《乾いた声でも》は、ある夫婦の物語。
夫は、サラリーマンとしての才覚があり、頭角を表しながらも、猛烈に働いた末に42歳にして亡くなってしまった。
残された妻は、二人の子供とともに悲しみに暮れるはずなのだが、どこか釈然としない気持ちでいた。
というのも、この夫婦は関係が冷めきっていたから。
直接の原因は、夫の浮気によるものなのだが、それだけではない。
それを森浩美さんは、こんな風に表現している。名文だと思った。

—————————(以下、引用)———————————————————————————
結婚して十年以上も経てば大概の夫婦が空気のような存在になるくらいのことは分かっている。
ただ、その空気が温かいものなのか、冷ややかなものなのかで大分違ってくる。
色んな波風を受けるたび、それを乗り越え絆の深まる夫婦もいれば、少しずつ冷めた間柄になっていくこともある。
浮気もそのひとつの原因だろうが、それ以外の些細な出来事でも私たちはお互い、心の鍵をひとつずつ締めてしまったような感じがする。
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夫の浮気から数年経った後、妻は夜中に目をさますと、夫はキッチンの椅子に寄りかかっていた。
その夫に対して妻は嫌味を言ってしまう。もはや口を開いても愛の言葉は出て来ない関係になってしまっていた。
森浩美さんは、こう表現している。うなるほどの名文だ。

—————————(以下、引用)———————————————————————————
責める気持ちや疑う気持ちはすぐ手の届く棚にあるのに、思いやりや楽しかった記憶は特別な踏み台を使わなければ届かないような棚の上に、
いつの間にか追いやってしまっていたのかもしれない。
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そんな妻のもとに、夫の会社の先輩がお線香をあげに訪ねてきた。
夫が最も尊敬していたその先輩は、夫婦関係をこんな風に表現した。
この表現は、普段、僕が妻である花に対して抱いている感情そのままで、心から共感し、なんだか泣けて来た。

—————————(以下、引用)———————————————————————————
よく夫婦を戦友に例える人がいるでしょう。僕はちょっと違う意見なんだな。妻は一緒に戦ってくれなくてもいいんです、戦いは僕がしますから。
だからその代わりにせめて味方でいてほしいんですよ。それも絶対的な味方です。
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【家族の言い訳】。本当に素晴らしい本です。
心を揺さぶられる名文がいくつもあります。
ぜひ、皆様、読んでみてくださいね。